北軽井沢の全室バストイレ付きのアットホームな宿 ブルーベリーYGH

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軽井沢へようこそ

 江戸時代の軽井沢は、中山道の宿場町としてにぎわいました。けれど明治維新後には衰退しました。しかし、たまたま1888年イギリス人宣教師A・C・ショーがここを知り、別荘第1号を建てたことから、多くの外国人宣教師や国内の政界・財界人や文化人の別荘が建てられ、夏の冷涼な気候と相まって国際的避暑地として発展しました。

アレキサンダー・クロフト・ショー

 アレキサンダー・クロフト・ショーは1846年、カナダ(当時の英領カナダ)のトロント市に生まれました。ショー家は、スコットランドに長く続いた名家で、後にカナダに移住。祖先はトロント市の開発の先駆者として活躍し、同市内にはいまでも「ショー通り」の名前が残されています。
 A・C・ショーはトロント大学に進み、在学中に聖公会聖職を志しました。そして1869年に執事に、1870年に司祭となります。そして、1873年(明治6年)、ロンドンから大西洋、アメリカ大陸横断を経て、横浜に到着しました。宣教師としての第一歩を踏み出したのです。
 さて、軽井沢はもともと中山道の宿場町として開けた集落。しかし江戸幕府が倒れて明治期に入ると、街道を往来する旅人も少なくなり衰退の一途をたどっていました。そんな頃の明治19年に、東京の夏の猛暑を避けて軽井沢を通りかかりますが、彼は、軽井沢の涼しく爽やかな気候と自然に感嘆し、ひと夏を軽井沢で過ごすことになります。それがきっかけで、多くの外国人らが訪れるようになるわけです。

 また明治後期に入ると訪れる人を受け入れるホテルもでき、大正期には、西武などの資本の参入で別荘地の分譲が盛んになりました。こうして軽井沢は大きく発展していきました。そんな避暑地・軽井沢の礎を築いたアレキサンダー・クロフト・ショーは、1902年(明治35年)、56歳で東京で逝去し、青山墓地に夫人とともに葬られています。

軽井沢は健全な町

 ちなみに軽井沢にはいわゆる「風俗営業」に該当するお店はありません。パチンコ屋もなく、コンビニも夜の11時で閉店します。もちろん他の店も11時以降は開いていません。建築の規制も厳しく、醜悪な建物が林立することもない、自然に優しい町でもあります。そのためか軽井沢には、質の高いお店が多く、女性に人気が高い理由のひとつになっています。

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