北軽井沢の全室バストイレ付きのアットホームな宿 ブルーベリーYGH

トップへ 料金 交通 食事 設備 観光 温泉 自然 グルメ ツアー 予約
■御案内
■軽井沢へようこそ
■北軽井沢へようこそ
■YGHへようこそ
■YGH(ユースゲストハウス)とは?

■北軽井沢で遊ぼう
■軽井沢おもちゃ王国での遊び方
■信濃路自然歩道の歩き方
■浅間牧場・天丸山の歩き方
■鬼押出し園・花木園の歩き方
■大学村の歩き方

■名水を飲もう
■地酒と地酒・ビール
■高原野菜を食べよう
■グルメに走ろう
■ショッピング
■アウトレットはいかが?
■軽井沢を散策しよう

■温泉に入ろう
■岩盤浴体験

■北軽井沢で散歩
■北軽井沢で森林浴
■北軽井沢で星を見よう
■ネイチャーウオッチング
■バードウオッチング
■北軽井沢で花畑を散策
■北軽井沢で火山体験
■北軽井沢で歴史体験
■北軽井沢で牧場めぐり
■北軽井沢で滝めぐり
■北軽井沢でハイキング
■北軽井沢で登山
■北軽井沢でスノーシュー
■北軽井沢でスキー
■北軽井沢でテニス
■北軽井沢でゴルフ
■北軽井沢でジョキング
■北軽井沢でサイクリング
■北軽井沢でドライブ
■北軽井沢で釣りをしたい
■北軽井沢でバーベキュー
■芸術(アート)体験
■陶芸体験
■スケッチ旅行
■写真撮影旅行

北軽井沢へようこそ

 北軽井沢は群馬県にあります。それも戦前から有る古い地名であり、明治時代に田中貴金属の創設者である田中銀之助が別荘を建築したのがはじまりですから、軽井沢にA.C. ショーが別荘をかまえたのが明治20年頃であったことを考えると、わずか20年の差でしかありません。むしろ、南軽井沢(塩沢)や中軽井沢(沓掛)や新軽井沢の方が、よほどの新参者です。

軽井沢と北軽井沢の違い

 ところで、軽井沢と北軽井沢の違いはと言いますと、軽井沢が宣教師と金持ちを中心に発展していったのに対して、北軽井沢は大学関係者や学者や岩波書店の店主を中心に発展していったと言えます。

 まず、明治時代に田中貴金属の創設者である田中銀之助がダンスホール付の巨大別荘を建築したのがはじまりです。ちなみに田中銀之助は、日本におけるラクビーの父であり、1899年、慶応義塾大学の塾生に初めてラクビーを教えた人でもあります。もちろん北軽井沢にもラグビー場がつくられました。
 その後、大正時代に入りますと、日本中の政治家たちが北軽井沢を分譲して、北軽井沢を巨大別荘地帯にしました。大正12年には、東大の教授たちが『一匡村』という大学村をつくりました。
 続いて、1928(昭和3)年に松室致(法政大学長)の発案と土地の提供により、野上豊一郎や安倍能成など漱石の弟子たちの賛同と協力によって開かれました。自治と互助をうたう大学村憲章を、野上弥生子など村民たちが守り続け、開村当時の理念が維持されています。大江健三郎、谷川俊太郎など多くの文学者が、今も大学村の自治と自然を愛し、夏の間はここで創作活動を行っています。

 つまり北軽井沢は、文化人が作った村なんですね。それだけに別荘族が多く、今でも夏になると、有名人著名人がひっそりと避暑に訪れます。地元の人も、外部から入ってきた人が多く、それだけに、排他的なところはありません。

夏の北軽井沢

 夏になると北軽井沢には、たくさんの人達が避暑に訪れます。夏こそは、北軽井沢のベストシーズン。熱帯夜とは無縁の高原の涼があります。避暑はもちろんですが、7月は様々な高山植物が咲き誇る季節でもあります。
 北軽井沢に別荘を持っていた詩人・岸田衿子さん、女優・岸田今日子さんは、子供の頃、夏になると北軽井沢を一家でおとずれたそうです。その時にお母さん手作りのワンピースを着ていくのですが、花柄などではなく、シンプルなものでした。その理由は、
「花がたくさんある所に行くのだから」
そんなエピソードに納得してしまう、花に満ちた北軽井沢の7月です。

避暑なら軽井沢でなくて北軽井沢

 避暑にくるなら軽井沢ではなく、絶対に北軽井沢です。なぜならば、軽井沢は湿気が多く、暑いからです。場所にもよりますが、北軽井沢は軽井沢より5度は温度が冷涼ですし、北軽井沢には湿気も全くありません。

 真夏の北軽井沢の平均気温は18度。
 朝は肌寒いくらいです。
 最高気温も27度くらいですから、
 東京・名古屋・大阪から比べると別天地です。
 しかし、軽井沢だと、こうは、いかないのです。

 北軽井沢ブルーベリーYGHのあるところは、標高が1200mの高原地帯で、年間の気温変動や、湿度の低さなど、北海道ととても良く似ています。夏でも平均気温は18℃と涼しく、朝方は寒いくらいですから、体によい羽毛布団を用意しています。買い物や、レジャーは軽井沢でも、泊まるのは北軽井沢。これが一番ベストな選択です。

北軽井沢の風土と特色

●北軽井沢について
 北軽井沢の地名がついたのは、昭和初期です。最近になって、軽井沢観光ブームにあやかって、軽井沢に「北」という文字を付けたわけではありません。もともとは、法政大学の学長、松室致先生が所有する広大な土地(山)を法政大学の先生方に昭和3年(1928年)に坪1円で分譲したことから始まります。電気が来たのは昭和4年、水道が引かれたのは昭和5年でした。

●北軽井沢ブルーベリーYGHの位置
 むかし、北軽井沢●●YHという宿がありましたが、北軽井沢から、とんでもなく離れていました。しかし、北軽井沢ブルーベリーYGHは、北軽井沢の交差点から、2キロ(歩いて30分・車で5分)のところにあります。嬬恋村と長野原町の境界線に位置しています。一応、住所は嬬恋村になっていますが、長野原北軽井沢という住所で郵便を送っても、ちゃんと届きます。ちなみに、つい最近まで、このあたりの小学生は、北軽井沢小学校に通っていました。

●北軽井沢の風土
 昔から北軽井沢には、住民は少なかったです。北軽井沢が開発されるようになったのは、大正12年に東京大学関係者により一匡村が設立され、昭和3年に法政大学関係者により開村されてたらです。つまり文化人が作った村なんですね。それだけに別荘族が多く、今でも夏になると、有名人著名人がひっそりと避暑に訪れます。地元の人も、外部から入ってきた人が多く、それだけに、排他的なところはありません。むしろウエルカムな人が多く、例えて言うならば、北海道の雰囲気があると言った方がよいと思います。

●北軽井沢の人情
 北軽井沢はド田舎です。しかし、別荘族が多く、住人の大半が、最近になって都会から移住してくる人が多いために、人情は都会のものそのものです。決して閉鎖的なところではありませんし、田舎のもつローカルさも薄いです。しかし、移住してきた人たちの大半は、田舎暮らしに憧れている人たちばかりなので、変な意味での田舎っぽさはあります。つまり、田舎を満喫する、田舎を演じる都会人なんですね。
トップへ 料金 交通 食事 設備 観光 温泉 自然 グルメ ツアー 予約